東京高等裁判所 昭和24年(ネ)753号 判決 1950年8月30日
主文
原判決を取消す。
控訴人が出生による日本の国籍を現に引続き有することを確認する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は主文と同趣旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張は、控訴代理人において、控訴人の父大熊老之助が昭和十一年七月二十五日控訴人が満十六年と二十四日当時同人の意思も問わずその不知の間に老之助自身の名義をもつて内務大臣に対し控訴人の日本国籍離脱の届出をなし、次いで戸主大熊徳太郎が昭和十二年一月十五日戸籍吏に対しその旨届出をなしたものであると訂正し、被控訴人において、右主張事実中右国籍離脱の届出が控訴人の意思も問わず同人の不知の間になされたとの事実を否認しその余の事実を認めると述べた外いずれも原判決事実摘示と同一であるからここにこれを引用する。
(立証省略)
理由
控訴人が大正九年七月二日北米合衆国カルフオルニヤ州において日本の国籍を有する大熊老之助を父として出生し、これによつて日米両国の国籍を取得したこと、右老之助が昭和十一年七月二十五日自己名義をもつて控訴人の日本国籍を離脱する旨内務大臣に対して届出をなし、次いで昭和十二年一月十五日戸主大熊徳太郎が戸籍吏に対しその旨の届出をなしたこと、その後控訴人は日本に居住することになつたので、昭和十七年七月二日日本国籍を喪失したものとして内務大臣にその回復を申請し、同年九月九日その許可があり同年十月七日国籍回復の届出をなし東京都麻布区竜土町十二番地に一家を創立し、その後同所より現本籍福岡県嘉穂郡上穂波村大字阿恵二百六番地に転籍した旨戸籍に記載されていることはいずれも本件当事者間に争いがない。
控訴人は右日本国籍離脱の届出は父老之助が控訴人の意思も問わずその不知の間にしかも老之助自身の名義をもつてなしたものであるから効力を生じない旨主張するによつて按ずるに控訴人の父老之助が控訴人の国籍離脱の届出を内務大臣に対してなした昭和十一年七月二十五日において控訴人が満十六年と二十四日の青年であつたことは明らかであり、成立に争いのない甲第七号証の一、二及び原審並びに当審における控訴人本人の供述によればその当時控訴人は北米合衆国アリゾナ州において父老之助と同居していたことが認められるから、右届出は控訴人の志望によつてなされたものと推定せられても致方がないようではあるが、前掲控訴人本人の供述を綜合すれば右届出は控訴人の父老之助が控訴人の意思も問わず全く控訴人の不知の間にこれをなしたものであることが認められるのみならず、旧国籍法施行規則第三条によれば国籍離脱の届出は満十五年以上の未成年者にあつては法定代理人の同意を得て本人がこれをなすことを要するものであるにかかわらず、本件国籍離脱の届出は控訴人の父老之助が自己の名義をもつてなしたものであることは当事者間に争いないところであるから、右届出はその効力を生じなかつたものと謂うことができる。
被控訴人はその後控訴人において自ら国籍回復の申請をなしたのであるからこれによつて右の日本国籍離脱届出と謂う父老之助の無権代理行為は追認された旨主張するけれども、満十五年以上の者にあつては国籍離脱の届出は本人においてこれをなすべきものであることは前説示のとおりであるから、仮りに右老之助が代理権限なくして控訴人名義をもつて届出をなしたものであればあるいは無権代理行為の追認の問題も生ずることがあろうが、本件は右老之助が控訴人本人の名義をもつてせず自己の名義をもつてなしたものであつて無権代理行為と謂うことができないから無権代理行為の追認の問題の生ずる余地がない。
もつとも無効の行為を追認した場合において当事者がその無効なことを知つて追認したときは新たな行為をなしたものとみなされることがあるけれども、控訴人が明示的に右老之助のなした国籍離脱の届出行為を追認したことを認めるに足りる証拠はなく、仮りに右控訴人の右国籍回復申請行為をもつて控訴人が暗黙に右国籍離脱届出行為を追認したものとしても追認によつて新たな行為をなしたものとみなされるには新たな行為としての要件を備えることを必要とするところ、日米両国の国籍を有する者が日本の国籍を離脱するがためには北米合衆国にその住所を有していることが要件である(旧国籍法第二十条の二参照)にかかわらず、前掲控訴人本人の供述によればその当時控訴人は日本国内に居住し北米合衆国に住所を有していなかつたことが明白であつて、国籍離脱の要件を備えていなかつたものであるから、控訴人は追認によつて新たな国籍離脱の届出行為をなしたものと謂うことができない。被控訴人の追認に関する右主張はとうてい排斥を免かれない。従つてまた前記国籍離脱届出に基ずいて戸主大熊徳太郎のなした戸籍吏に対する控訴人の国籍離脱届出もその効力を生じないこと謂うまでもない。
さすれば控訴人は日本国籍を離脱していないのであるから、前記国籍離脱届出によつて日本国籍を離脱したものとして控訴人がその国籍を回復するためになした右国籍回復申請並びにこれに対して与えた内務大臣の許可はいずれもその効力を生じないものと謂わなければならない。
よつて進んで控訴人が現に有する日本国籍が出生によるものであることの確認を求める法律上の利益があるかどうかについて考えるのに、控訴人の有する日本国籍が出生によるものであれば控訴人は北米合衆国の国籍を依然として保有するが、これに反し国籍回復の許可によるものとすれば北米合衆国の国籍法によつて同国の国籍は失われると謂う関係にあつて、そのいずれによるものであるかは控訴人が北米合衆国の市民権を有するか否かと謂う現在の身分に直接関係があるのみならず、控訴人はさしあたり日本国家から国籍回復により日本の国籍を取得したものとして取扱われその国籍取得の経過は前記のように戸籍法に記載されているのであるから、控訴人の国籍取得の原因が前記のように国籍回復の許可によるものでなく出生によるものとすれば、控訴人としては少くとも判決によつて戸籍の訂正をなす必要があるから(この場合の戸籍の訂正は国籍回復の許可行為に関する判断を含むから戸籍法第百十三条の家庭裁判所の許可によつて戸籍の訂正をすることはできないものと解する)、控訴人の有する日本の国籍がそのいずれによるものであるかについて本件当事者間において争いがある以上、控訴人は出生によつて取得した日本の国籍を現に有するものであることを即時に確定する法律上の利益を有することは謂うまでもない。
さすれば控訴人の本訴請求は正当であるからこれを認容すべきであり、これを排斥した原判決は失当であるからこれを取消すべきものとし、民事訴訟法第三百八十六条第九十六条第八十九条を適用して主文のとおり判決する。(昭和二五年八月三〇日東京高等裁判所第一民事部)